同労働組合は、自由な組合活動が認められていない中で成立したもので、成立当時、ポーランドの労働組合といえば政府主導の「労働組合中央評議会」であった。
ポーランド政府によって一度非合法化されたものの、非合法化された後も活動を続けた。その後、
ミハイル・ゴルバチョフによって
ペレストロイカが始まると、その流れの中でポーランド政府は「連帯」等の勢力との妥協を模索し、「連帯」運動は合法的地位を獲得する。
しかし、
2000年10月の
大統領選挙で、代表のクシャクレフスキ(Marian Krzaklewski)が敗北、財政危機や「4大改革(
地方制度・
年金・
医療・
教育)を巡る混乱から、AWSは党支持率を大きく減らし、
2001年に入ると
市民プラットフォーム(PO)や
法と正義(PiS)、そして選択肢-社会運動(Alternatywa-RS)が次々と離脱した。
2001年の
議会選挙ではAWSに留まっていた社会運動やカトリック国民連盟、ポーランドキリスト教民主主義連盟を軸として連帯選挙行動右派(AWSP)を結成して選挙に臨んだが、得票率は5.6%に留まり、政党連合が議席を獲得するために最低限必要な8%の議席阻止条項を突破できず全議席を失った。そのAWSは、主要勢力が脱退したため、自然消滅した。