考古学的な見地からは、平群氏の奥津城とされる
平群谷古墳群(
平群町に所在)の変遷を考えると、同氏の台頭は
6世紀中期以前には遡れないという。このことから、平群氏を6世紀後半の神手以降の新興在地豪族と見る説が有力である。従って、真鳥が大臣に就任して専権を振るったという『書紀』の叙述は史実として認められず、平群氏が自氏と同じく武内宿禰の後裔氏族である
蘇我氏への対抗意識から故意に作り上げたのだと説明されている。
天武天皇10年(
681年)の
帝紀・
上古諸事の記定事業に
平群子首(こびと)が参画していること、持統天皇5年(
691年)に「墓記(纂記)」上進を命じられた諸氏族に平群氏が含まれることは、同氏伝承の成立とも関わって留意されよう。