日本も
封建制度の体制下で欧米の近代法にある
法治国家の諸原則が存在しておらず、刑事面では拷問や残虐な刑罰が存置され、民事面では自由な契約や取引関係を規制して十分な保護を与えていなかったために、欧米列強からはその対象国であると考えられていた。
江戸幕府が
日米和親条約や
日米修好通商条約で長崎、下田、箱館、横浜などの開港や在留外国人の治外法権を認めるなどの不平等条約を結ばされ、明治初期には
条約改正が外交課題となっていた。一方で明治時代に入ると、
朝鮮、
中国に対して
日朝修好条規[糟谷憲一『朝鮮の近代』(山川出版社、1996、p30)、吉野誠「江華島事件」(同『明治維新と征韓論』明石書店、2002、p205)等学術査読研究多数。]や
下関条約[千葉功「列強への道をたどる日本と東アジア情勢」(川島真ほか編『東アジア国際政治史』名古屋大学出版会、2007、p61)他。]、「
日清通商航海条約」
[井上裕正ほか『中華帝国の危機』(中央公論社、1997、p226)。]など不平等条約を押し付けていった。