派遣JOB-LINK.com [05/27update]

▼最新情報をCheck!!▼


「三都」||派遣JOB-LINK.com [05/27update]

三都 wikipedia|無料辞書

前のページ 1/5 次のページ
三都(さんと)
・ 江戸時代の日本三大都市。すなわち、大坂江戸のこと。明治以後の三府と重なる。本項にて解説する。
・ 現代の三大都市圏の中心都市。すなわち、東京大阪名古屋のこと。
京阪神の中心都市である3市。すなわち、京都市大阪市神戸市のこと。三都物語三都ネットなど。
----
三都(さんと)とは、江戸時代に幕府直轄都市であった都市のうち、その規模が極めて大きかった京・大坂・江戸を指す。

◆三都の人口
平安遷都以来室町時代まで京都は時期によって変動はあるものの、多い時で約20万人、少ない時で約4万人の間で推移したと推定されている。安土桃山時代に入り大坂が発達し、京都も長らく分離していた上京下京の宅地が繋がって30万人規模に成長したと考えられる。江戸時代に入ってすぐの1609年に日本へ漂流したロドリゴ・デ・ビベロは、京都の人口を30〜40万人、大坂の人口を20万人、江戸の人口を15万人と伝えている。江戸時代の三都の人口については時期によって変動はあるものの、多い時で江戸は100万人以上、京都、大坂は40万人の人口を有していたと推測されている。江戸時代を通じて三都以外では、金沢名古屋が最盛期で10万人規模、長崎鹿児島が6万人以上で、他の有力諸侯の城下町はいずれも5万人前後であった。幕藩体制維持のため各藩の拠点は一箇所の城下町に固定化され、更に領外への経済圏の自由な拡大が制約されたため、全国的な拠点とされた三都との間に格差が生じたと考えられる。以下記録として残っている三都の町方人口を表にまとめる。

◇江戸の町方並寺社門前人口
江戸参照。

◇京都の町方並寺社門前人口
調査の対象外であった武家や公家、被差別階級人口を除く。
このほか明らかに山城国全域の人口と混乱して50万人前後の人口を伝えたり、同じ人口に関して異なる年代で記述されるなど、信頼の低いものもあるが、参考までに以下列挙する。